さくら先生、さよなら!私の平成時代、さよなら! 再見!我的「平成時光」



評論家中森明夫先生說,小丸子是「什麼都消逝的時代」裡,讓人們找到微小喜悅的、極具代表性之作。
新聞出來時,我也在心裡默默地想,櫻桃子的離世是平成世代的終結。沒有結局的小丸子是「我的」平成的結束。
90年開始放送,對88年出生的我而言從小就是看小丸子長大,還有幾件印有小丸子的衣服(當然都是無經授權的盜版)。從小丸子對我來說是三年級的大姐姐開始,到跟小丸子同學年,我了解到我一直在長大,但是小丸子是永遠的三年級生,甚至為此有點惆悵。
小丸子的故事對台灣人來說也是耳熟能詳,即使現在在電視上看到小丸子,還是會放下遙控器,好好看完。
什麼偶像引退之類,因為我沒迷過安室,完全沒有感覺。天皇要先退位,我不是日本人也沒感覺。但小丸子的作者向這世界說再見,表示創作出這感動我無數次的小丸子的源頭已經完全枯竭,比起震驚,更是惆悵,就像我小時候發現自己一個又一個學級往上爬,但小丸子永遠是3の4那樣。
說來櫻桃子也是個偉人,她留下了一個深烙人心的卡通icon,就如藤子不二雄之於哆啦A夢、手塚治虫有之於原子小金剛跟黑傑克。陪伴了我整個童年與青少女時期,雖然我沒去過靜岡,但這是我人生第一個知道的日本的縣。
謝謝櫻桃子用簡單的線條構築出那麼可愛又傻氣的人物,栩栩如生地勾勒孩童的日常與心態,看著那小小的兔子跟小丸子圓圓的眼睛,幼時的我總感覺受到撫慰,至今如是。謝謝櫻桃子,帶給了我「平成時光」。


評論家の中森明夫さんは「『失われた時代』に、人々は小さな喜びを見つけていった、象徴のような作品」と言う。
ニュースが出たとき、私もそう思った、さくらももこ先生の死は「平成の終わり」。
結末のないちびまる子ちゃんは「わたしの」平成の終わり。
90年からアニメが放送されて以来、みんなに愛されているちびまる子ちゃん、88年に生まれた私にとって、子供の時代と一緒に送ってきたという存在。
子供の時に、持っていた洋服の中に何枚にもまる子ちゃんの画像があって、もちろんそれは洋服のメーカーが権利を取っていないままに勝手に作ったの。
ちびまる子ちゃんがわたしにとって「お姉ちゃん」のような存在から、「同級生」そして「妹さん」まで、自分がどんどん伸びてきながらも、ちびまる子ちゃんがいつも小学校の三年生とのことに気づいた。そのため、ちょっと寂しく感じた。
ちびまる子ちゃんは台湾人にとって結構詳しいアニメで、いまでもテレビが放送中の時かならずリモコンをおろしてじーとみる。
安室さんの引退とか、そもそもファンじゃないので実感するわけでもないし、日本人じゃないので、天皇陛下の譲位について実感するわけがない。
しかし、ちびまる子ちゃんの作者が亡くなったということは、このわたしを何回も感動させた源は完全に乾いてしまったのだ。驚くより、寂しく思う。こどものときに自分はだんだん伸びていくけど、まる子ちゃんはい依然として三年生とわかったような寂しく感じた。
さくらももこさんは確かに偉い人、ひとつの代表作をこの世に残ったからだ。
子供時代と少女時代と一緒に送ってくれたし、静岡に行ったことがないけど、これはわたしが初めて知った日本の県なの。
こういう簡単なラインでつくられたちびまる子ちゃんは可愛くて小ばかだ。生き生きとして子供の日常や心を描いてくれた。その小さいなうさぎちゃんとまる子ちゃんの丸くて黒い目を見ながら、こどものわたしが癒された。今でもそう思うの。ありがとう、さくらももこ先生、わたしに「平成時間」をくれました。

留言

人氣文章